2012年8月16日木曜日

ハマコー


【ハマコー死去】
憎めない一匹おおかみ 情と錬金術の行動派

2012.8.5 22:49
 名前を略して呼ばれる政治家がまた一人去った。こうした人物はたいがい愛嬌(あいきょう)がある。こわもてでも会ってみると憎めないタイプだ。5日に鬼籍に入った「ハマコー」こと、浜田幸一氏はその代表格だった。
 国会では「殺人者」発言や乱闘騒ぎで強烈なイメージを残す。乱暴者を預かることができたのは当時の実力者、金丸信元副総理。そのつながりで自民党幹事長室で門番のようににらみを利かせることが日課だったころもある。
 「諸君、本日も平穏かな」
 新聞記者の労はねぎらってくれたが、孤独な存在を意識していたのかもしれない。一匹おおかみの限界で、大臣の座は回ってこなかった。
 千葉県富津市が地盤。気性が荒い漁師町で戦後の混乱期とあって、若いころはけんか早かった。昭和38年に県議に出て44年の総選挙では旧3区から初当選する。
 東京湾岸に工場が多数進出し、開発で房総半島に巨額の金が流れ込んだ時期と重なる。選挙も金次第で「5当4落」と言われた。5億円使えば当選、4億円なら落選という意味だ。
 56年には川上紀一知事が業者から5千万円を受領して念書を書いた事件で辞任する。その政変を追った「五千万円念書の深層」(湯浅博著)にはこうある。
 「土地ブームに乗った“錬金術”を駆使して、バッジをもぎ取った」
 当時、自らはラスベガス賭博事件で衆院議員を辞職した身でありながら川上氏に辞任を勧告した。
 浜田氏と親交があった伊藤和男県議は「行動力があって情熱家だった。徳だとか仁義だとかが大事だ、ということを行動で教えてもらった」と惜しむ。
 晩年は「返せると思っていた金」(関係者)が返せなくて裁判にかけられた。情に訴えて済む時代はとっくに終わっていた。そこに気がつかないとしたら、まさに一昔前の政治家だった。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120805/chb12080522500006-n1.htm

このおっさんも時代の流れには勝てなかった一人ですな。
ラスベガスでマネーロンダリングは有名な話w
大使ティッシュ王子もギャンブル大好きでしたね。
ハマコー北朝鮮利権貰う前にお払い箱w
最近国内、国外での出来事多過ぎw

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