2012年7月22日日曜日

上野のパンダ


池田隆政氏が死去 天皇陛下の姉厚子さんの夫
池田隆政氏が死去 天皇陛下の姉厚子さんの夫
故池田宣政・元侯爵の長男で、天皇陛下の姉池田厚子さんの夫池田隆政(いけだ・たかまさ)氏が21日午後1時47分、肺炎のため岡山県倉敷市の病院で死去した。85歳。東京都出身。自宅は岡山市北区京山2の5の1。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は妻厚子(あつこ)さん。後日「お別れの会」を開く予定。
江戸時代の岡山藩主池田家の第16代当主。1952年10月、昭和天皇の四女で天皇陛下の姉厚子さんと結婚した。53年に池田産業動物園を設立して園長に就任し、62年に池田動物園に改称した。95年から2004年まで日本動物園水族館協会の会長を務めた。
2012/07/21 17:07   【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072101001660.html

動物好きだったようですねwちがうかー




訃報:中川志郎さん死去…元上野動物園長、パンダ飼育
毎日新聞 2012年07月17日 21時06分(最終更新 07月17日 23時07分)
上野動物園(東京都台東区)の元園長で、72年に初来日したジャイアントパンダの飼育プロジェクトリーダーを務めた日本動物愛護協会名誉会長中川志郎(なかがわ・しろう)さんが16日、間質性肺炎のため埼玉県川口市の病院で死去した。81歳だった。葬儀は20日正午、さいたま市南区白幡3の10の8のセレモニー武蔵浦和ホール。喪主は妻啓子(けいこ)さん。
茨城県出身。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大学)獣医専攻科卒業後、1952年に上野動物園に入り、69年に飼育課長になった。日中国交正常化を記念して寄贈されたジャイアントパンダ「カンカン」と「ランラン」の飼育責任者を任され、受け入れや世話を指揮した。
79年には多摩動物公園(東京都日野市)の飼育課長に配転となり、オーストラリアに渡るなどして、84年に東山動植物園(名古屋市)と平川動物公園(鹿児島市)と並んで国内初のコアラ受け入れを実現させた。

http://mainichi.jp/select/news/20120718k0000m040088000c.html


シンシンの赤ちゃん死ぬ 上野動物園のパンダ

 上野動物園(東京都台東区)は11日、ジャイアントパンダ「シンシン」の赤ちゃんが同日午前8時半に死んだと発表した。死因肺炎という。
    同日午前7時半ごろ、赤ちゃんがシンシンのお腹の上であおむけになっていたため職員が取り上げたところ心肺停止状態であることが判明。心臓マッサージなどを行ったが、8時半に死んだことを確認したという。
    赤ちゃんは5日に生まれ、シンシンや赤ちゃんに疲れがみられたため一時離したのち、10日午後にシンシンの元に戻していた。職員は24時間態勢で監視を続け、11日午前6時45分の時点では赤ちゃんの鳴き声を確認していたという。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120711/trd12071113250013-n1.htm













◎上野パンダ~啐啄同時(そったくどうじ)・・鳥の雛が卵の中から殻を突っつくのを啐(そつ)といい、親鳥が外から殻を突っついて破る
         のを啄(たく)といいます。啐と啄が同時に行なわれて、めでたく雛が誕生する様子が啐啄同時です。
         ある僧が師の禅僧に、「私は啐したから啄してください」と申します。師は「啄してやったら生きて生まれてくるか」と聞くと、
         弟子が「生きて生まれねば人に笑われます」と答えます。それを聞いて、師は「煩悩、執着があるからだめだ」と、拒否し
         ます。人に笑われるという相対、比較の心境では、まだ啐啄の機が熟していないからだめだ、というわけです。教えるほう、教わるほうともに気心が完璧に一致してこそ、向上の実が得られるわけです。


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